仕事をする意味
私は、昭和58年、1983年に生まれ、なに不自由なく生まれ育ってきた。1983年に生まれたものはファミリーコンピュター。小さい頃は、ドラゴンクエストとファイナルファタジーというロールプレイングにハマりながらゲームばかりしてきた。
勉強はそれなりにししてきた。かといって、勉強はとてもできたわけではない。できてないというか、できてないことはできないものなんだと感じて、勉強は特にしてこなかった。
特に大人になったら、こんなことができるとか、こんなことに役に立つとか、考えてなかった。
今、その(人が思い描く)世界で生きれる厳しい世界を生きることができる人は、自分の限界をいかに越えることができるか人なんだと思う。
経験から思うに、自分の限界を超えるというのは、めちゃくちゃ難しい。できないという思い込みがとても激しかった。
少し、ほんの少し限界にちょっとだけ挑戦することで、自分の限界を超えることができると思う。少しずつ少しずつ、限界に挑戦して行くことをお勧めする。
話は変わるが、僕らはなぜ、うまれ、なぜ死ぬのか?考えたことはあるだろうか。ぼくは、少し前までそんなことは考えたことは全くない。
一見、考えても正解のないことをたまに、一年に一度くらい、正解がないことを考える時間はとても大切で有意義な時間と感じる。
なぜ、いま、その仕事をしてるのか、考えてみませんか?もし考えることができないのなら、一緒に、考えることはできるので、何処かでお会いしたとき、一緒に考えましょう。
もう一度、言います。なぜ、その仕事をしているのか?その意味はなんなのか?自分はどうしたいのか?
いまできることを少し、ちょっとだけ伸ばした方がいいのかと思います。そんな人が1人で増えたらとても嬉しいです。
だか、ほんの少しだけ、今のある状況の意味を考えてみてはどうでしょうか。
今日も読んで頂きありがとうございます。